『ゆかいな仏教』を読む -人は神にはなれないが仏にはなれる-

仏教を知りたい

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日本の知を考える上で仏教は外せない

河合隼雄は人の心を「科学」するためにユングから心理学を学んだが、日本でクライアントと向き合う中で、それまで重視していなかった「仏教」を日本人の中に発見する。それは個の自立よりも、まず一体感を求める「切断」を嫌う性質だ。

松岡正剛は、西洋の知・資本主義の視点だけで世界を見るな、とフーコーの言葉を強く押す。西洋的な進歩や進化は修繕が効かない。日本が持っている「変化」を受け入れる仏教的な編集方法が重要になる、という。

西洋と東洋、科学と宗教。それぞれの知を考える上で、仏教は日本人にとって外せない一点なのかもしれない。河合隼雄や松岡正剛の著書を読み進めるうちに、私にもそう思えてきた。

 

しかし仏教はわからない

しかし仏教は難しい。お釈迦様の教えだと思っていた『般若心経』は佐々木閑によれば釈迦を否定する新興宗教の経典だそうだし、大乗仏教の祖である『龍樹』は相手を否定するだけ(破邪の論法)で何も言ってくれないし、日本の『空海』に至ってはもう何を言ってるのか、正直さっぱりわからない。

そんな折、タイミングよくこんな新書が本屋に並んでいた。

ふしぎなキリスト教』の続編である『ゆかいな仏教』は社会学者2名が掛け合いで仏教を位置付けてくれる本で、とても理解の助けになった。

 

人は神になれないが仏になれる、そう仏教ならね

キリスト教と仏教は人と神のベクトルが逆である。

  • キリストは、神がそのへんのお兄さんになった(神→人)。
  • 釈迦は、そのへんのおじさんが仏になった(人→仏)。

表現がとても平易で理解が捗る。

キリストや一神教の神は絶対的なもので、人は決して神になれない。「祈りなさい」。

しかし、釈迦はそもそも人なのだ。ただの人である釈迦が、瞑想することで覚り、仏になることができた。「正しいやり方を学べば、あなたもそうなれますよ」というのが仏教だ。

そして釈迦が残し、その弟子たちが書き残した経典には、瞑想などの非常に具体的なメソッドが載っている。理想的な姿に向けた正しいやり方が学べるのが仏教式だ。

 

仏教にはドグマ(教義)がない

仏教にはドグマ(教義)がない。これがこの本から私が学んだもっとも大きな気づきだった。一番大切なことは何も言わない(言えない)。だからこそ強い(しかし難しい)。

メッセージがないことが、メッセージである、という構造が見える。河合隼雄は中空思想と呼んでいた。

覚りは、言葉にならないのだ。

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たしかに前出の『龍樹』は他の宗教の教義を、ただただ論破していった。破邪の論法という。これは無敵の立場である。

わたくしには主張は存在しない。まさにそのゆえに、わたくしには論理的欠陥が存在しない(中村元『龍樹』p129)

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当書による仏教の特徴まとめ

橋爪大三郎は、仏教の特徴をこうまとめている。

  1. 個人主義的
    一人ひとりが自分の人生に責任を持ち、自分の目標を追求しなさい、ほかの人に言われてやるのではなく、あなた自身がやりなさい、とメッセージしている。
  2. 自由主義的
    仏教にはドグマ(教義)がない。何をどうするか、何をどう考えれば良いか、どう行動すべきかは、自分の創意工夫によって発見し、創造していくもの。自業自得(自己責任)である。
  3. 合理的
    仏教は因果律からできている。ある結果やある出来事は、原因なしには起こらない。本人の都合でも左右されない。必ずそれを生み出した原因があって、追求すれば理解できると考えている。
  4. 理想主義的
    今の困った状態から、だんだん良い状態に移動していける。一人ひとりがこういうルートをだどれば社会全体も世界人類も、良い状態に移行していける。良い悪いのベクトルがあり、良い方向に向かうための手段があると考えている。

非常に現代的で前向きな思想ではないか。

日本の仏教は、アンティーク・ショップの店先に置かれた古びた家具、みたいになっている。なにかそこにあるとはわかっていても、誰もが足早に通りすぎていく。
そんな仏教も、昔はぴかぴかだった。そして、ちょっと磨けば、立派な高級家具としてよみがえる。それをほっておくなんて、なんともったいないことだろう。

もったいないですよねえ。私はまだまだ考えていこうと思う。

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